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沈黙の神の使い
(2016)

English / 日本語

崇拝の場である神社には一対の「狛犬」という想像上の動物が置かれていることが多いが、神社の中には身近でかわいい動物を神の使いとしているところがあって不思議に思う。

なぜかわいい動物が神の使いなのか。

その理由はおそらく、日本では古代から自然や動物に対し、恵み、驚異、恐れを見出し、それを崇敬するという感覚があったからに違いない。

自然の前には人間は非力だ。

たとえば、人間がつくり上げた原子力発電所は自然の猛威(=津波)によって壊れた。

そして、原発はまた自然を破壊し、人間自身もそこでは生きていけなくなった。

「咽元過ぎれば熱さを忘れる」という諺がある。

災いが起きたときは警戒しているが、日が経つと次第にその恐ろしさを忘れてしまうという戒めの言葉だ。

科学の進歩や近代化のプロセスの中で、日本で受け継がれてきた自然への畏敬の念を人々は忘れ、人間のためだけの行き過ぎた環境破壊に踏み込んでいるのではないか。

無言の動物の神使から、「お前たちはこのままでいいのか」と問いかけられているような気がする。

まさに神が遣わした警告の使者だ。

日本が2000年以上前から受け継いできたナレッジ、すなわち自然を敬うという考え方について今こそ思いを馳せるべきではないだろうか。

次世代のために、自然と人間の望ましいバランスを回復することは今を生きる我々の役割である。

作品紹介動画
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